150227-Oya-01.jpg2月初旬、パリで奇妙なオークションが催された。オークションハウス「アールキュリアル」が主催したそれは、不動状態のクルマ、それも名車ばかり59台を集めたものであった。 このコレクション、もともとはフランス西部の実業家ロジェ・バイヨン氏が自動車博物館を造るべく、1950年代中盤から精力的に収集を開始したものだった。

最終的には約20年後、事業が行き詰まったのをきっかけに計画は夢と消え、クルマの大半は競売に掛けられた。しかし、バイヨン氏はお気に入りを幻の博物館予定地に保管し続けた。

その膨大なクルマたちが悲惨なコンディションで陽の目を見たのは、バイヨン氏の子息が2013年に死去したのがきっかけだった。今までも古いクルマがまとめて見つかったことはあったが、数十台がまとめて、ましてや貴重なモデルばかり発見されたのは、この道のプロをもってしても、世にも不思議なストーリーだという。

救出されてプレビューに展示されたクルマはいずれも腐食が進行し、なかには雑草や蜘蛛の巣が絡み付いたままディスプレイされたものもあった。

にもかかわらずオークションが始まると、59台すべて完売となった。落札価格の総額は想定価格の950万〜1200万ユーロを大幅に上回る1630万ユーロ(約22億円)に達し、翌朝のフランスの一般紙はこぞって書き立てた。

コレクションは第二次大戦前後におけるフランス車が中心を占めていたが、ドイツ車も2台あった。

1台は1963年「ポルシェ356SCクーペ」だ。バイヨン氏は、それを警察の押収車両保管庫から放出品として購入した記録がある。極めて良好なオリジナル・コンディションで、のちにフォルクスワーゲンのボディを手がけるコーチワーカー「カルマン」のバッジもきちんと残っている。セールでは想定価格2万-3万ユーロを大幅に超える8万9400ユーロ(約1207万円)で落札された。

もう1台は、推定1936年の「Audi Front 225 カブリオレ」だ。

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DKW、Audi、ホルヒ、そしてヴァンダラーが合併し、今日のAudiのエンブレムでもあるフォーシルバーリングスのマークのもと「アウトウニオン」が結成されたのが1932年。翌1933年に、世界初の6気筒前輪駆動車として誕生したのが「Audi Front UW」である。Audi Front  225は、後年登場した2.25リッターエンジン搭載車だ。

Audiブランドは後年、第二次大戦をきっかけに一旦消滅し、その復活は1965年まで待たなければならなかった。

記録によれば、バイヨン氏が出品車を手に入れたのは1967年のことだ。フランスでAudiの知名度が限られていた時代に手に入れたのは、戦後間もなく自らトラックを改造して起業した運送業者で成功し、豊富なクルマ知識を備えていたバイヨン氏が、Audi Frontの歴史的価値をきちんと把握していたからに違いない。

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オークション前の予想価格は「6000ユーロ〜8000ユーロ(約81万〜108万円)」となっていたが、競りが始まると、ビッダーたちによって瞬く間に値段が上がり、なんと5万7216ユーロ(約772万円)でハンマープライスとなった。

Audi Frontの幌金具は、たとえ錆に覆われていても、往年のドイツ製カブリオレに共通する、無骨さと優雅さの絶妙な境を行くデザインだ。

しかしその朽ち果てた室内は、ホーンテッドマンション的雰囲気が漂っている。大径ステアリングには、当時きわめて珍しかったフロントドライブ車の操縦感覚を堪能した歴代オーナーたちの手が、いまもあの世から伸びている気がしてならない。

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日本なら真っ先にお祓いをするだろう。いっぽう----慣習によって落札者の詳しい国籍は伏せられているが----こちらの人々は、新築よりも築数百年の家屋を珍重することに代表されるように、古いものと共生に慣れている。レストア完了の暁には、目に見えない彼らも同乗させて楽しくドライブするに違いない、とボクは読んでいる。

(文と写真=大矢アキオ Akio Lorenzo OYA)

大矢アキオ イタリアコラムニスト。国立音楽大学ヴァイオリン専攻卒業。自動車誌『SUPER CG』編集記者を経てトスカーナ州シエナ在住。『イタリア発シアワセの秘密-笑って!愛して!トスカーナの平日』(二玄社)ほか著書多数。NHK『ラジオ深夜便』現地リポーターとしても十年以上にわたり活躍中で、老若男女犬猫問わず幅広いファンがいる。

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